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「自分を愛する。」- 本当は求めているのに遠ざけてしまうのはなぜ?

「自分を愛する。」

− くすぐったく聞こえる、もしくは虫唾が走る、という方もいるかもしれません。
本当はそれを求めているのに、遠ざけてしまっている人もいるのではないでしょうか。

日本だと、[愛] という言葉を出すこと自体が恥ずかしいと感じたり、それが何なのかわからずに使っている場合もあるのではないでしょうか。

[愛] の実感や手応えは、簡単に使ってはいけないような重い高尚な言葉にも感じますし、言葉にするのが難しい感覚的なものかもしれません。

でも、私たちの体という優れた感覚器を使って感じることで、言葉にはできなくても、その実感や手応え感が高まるということを私は知りました。その瞬間から、人生が瞬く間に変わり始めていました。

自分を愛するなんてことは、何を言っているかも理解できないほどに自分には程遠い価値観で、遠い目で見ていました。愛せる自分ではない、自分には価値がない、と思っていました。恐らく、深いところには恐怖があったのでしょう。愛する、愛されるということを恐れていたのでしょう。

なぜか?

人は感じたことのないもの、もしくは失ったもの、裏切られたような感覚に陥った領域に再び踏み込むのを避ける修正があります。傷つきたくないから。

私はある時、地球の母のような愛に満ちた人に抱擁され、感情が吹き出しました。これまで溜めていた感情を放出し、体が楽になると、私という全体性の存在の中に、余白ができました。その空白の中に何か満ちてくる物体を感じたのです。でもそれは触れられるものでも見えるものでもない、とてもデリケートで繊細で壊れそうなもの。でも圧倒的な安心感と温かさに満ちていたのです。そして気づきました。これが愛なのだと。溢れんばかりの愛が自分の中にある。「自分がむしろ愛なのだ。 / I am love.」と気付いたのです。

その実感はすごいもので、人生を変えてしまうほどのパワーを持ちます。その愛は溢れ出し、自分を包み込み自分を愛という存在にするだけでなく、リミットレスに広がって、周りに愛を広げていくのです。

そうしたら、もう既にその愛は私の中で圧倒的な存在として自分を支え、いつもそこにいるような感覚に陥ります。
4歳から抱えていた半世紀ほど続いた冷え性が治り、便秘が治り、腰痛も良くなりました。
自分の中に温かい湯たんぽを抱擁しているようなものなのです。

そしてその愛は、自己を信頼する力になります。自分の中にいつでも支えてくれる自分を結ぶ「結(ゆい)」のようなものができる。

だから、なんだってできると思うのです。私はリミットレスでインフィニット(無限)な愛の存在だから。

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