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幸せの原理

幸せとはなんでしょうか。

「自分を幸せにする全ては自分の中にある」と、12月にリトリートで来日するヒーラーのPavelは言います。(Pavelとの対話 動画
幸せは外部環境に依存しない。
外部から何も必要としない。
全て自分の中にある。
究極は、夫も、親も、友達も、仲間も必要ない。承認も必要ない。
自分という存在とつながっていれば幸せを感じられるはず。
その状態で他と接すれば、他も幸せで満たされる。なぜなら周波数や波動は影響し合うから。

外部環境に翻弄されている限り、私達は自分らを幸せという状態から遠ざけ続けるのではないでしょうか。

私たちが生きているこの現代社会は、私たちの自尊心を下げ続けます。
足りない、足りないと欠乏感を駆り立てます。

 

見て見ぬふりをしてきたものの蓋を開けた方なら、パンドラの箱を開けた方ならお気づきかと思います。
結局、全ては愛に行きつくことを。

登校拒否も、いじめも、非行も、離婚も、DVも、自殺未遂も、殺人も、戦争も、金至上主義も、経済システムも。

本来は、みんなもっとピュアに愛したいし、愛されたいのではないでしょうか。
なのになんだか色々歪んだ形で愛の発散や欲求不満がどろどろ渦巻いているこの世。

戦争が次から次と起きている。
なぜ人は殺し合うのか?
殺したいわけではない?
ではなぜ?

パレスチナとイスラエルの戦争。
イスラエル国家を作っているユダヤ人たちは迫害されてきた。
家が欲しい。
世界への恨みを晴らす。
パレスチナ人も迫害されてきた。(パレスチナのローシャンとの対話動画
彼らはどちらも被害者。
(愛されたかっただけ)

誰が悪い?
悪いのは国?首相?
誰も悪くない。
洗脳されている。
世界の仕組みに。

国を守るという概念は、
占有というアイデアから。
彼女は僕のもの、というのと同じ。
占有して自分たちが幸せであればいい。

他の民族は関係ない。
隣人は関係ないというのと同じ。

この国を存続させグローバルに打ち勝つには富を作り続け貯めないとならない。
生産し続け、経済が上がり続ける仕組みを作ろう。
資本主義
民の奴隷化
教育、仕組み、価値観、消費、、暮らしのあらゆるところに埋め込まれた洗脳の装置によってハックされていく。

私達は奴隷であることにも気づかない。
もっと綺麗になりたい、もっと良く見せたい、だからあれが欲しい!という欲望が仕組まれていることにも気づかない。
もっと消費させるために、潜在意識に刺激的な映像や言葉を刷り込む。
現実とかけ離れたような女優をCMに出し、「私は足りない😭」と欠乏感を仰ぐ。
男のあるべき姿とは、サラリーマンのあるべき姿とは、を色々なメディアや製品を通じて刷り込む。
私達はマインドハックされている。

(なぜそもそも他から奪うのか?については、西洋と東洋のエピソードをご覧ください。)

私達はいつも恐怖に怯えている。
しかも恐れがあるとも気づかないからバツが悪い。
潜在意識には恐怖がある。

所有をすると、手放すのが怖くなる。

領土をとられるのが怖い、
国を守らなきゃならない、
世界の競争に勝たねばならない、
ステータスがなくなるのが怖い、
存在意義がなくなるのが怖い、、、
手放したくない。

なぜ人は所有から離れられないのか?
 “I have a boyfriend” 直訳すると、私は彼氏を持っている
“my wife” 僕の妻

という表現は、所有を示して、”手をつけるなよ?” とプレッシャーをかけているのか、
ステータスを誇りたいのか。
当たり前に使っている言語にも、人間のエゴが見える。

金がないと生きられない。
土地がないと生きられない。
と、思っている。
だから奪うという行動にでる。

なぜ人は何かを所有することを避けられないのでしょう?
お金、恋人、妻、夫、子供、家、土地、国、世界、宇宙、
欲はエンドレス。

いや、でもこれらは当たり前の生存欲求だよねー!という人がいる。私もそう思っている/いた。
でも本当にそうなのか?

人間の基本的欲求、食べる、寝る、性欲は確かに動物だから仕方ないかもしれないけど、(それさえもプラーナと言って空気を栄養にして、食べ物も飲み物も摂らないで暮らしている人もいるらしい。どこまで削ぎ落として生きられるか、人間というものの超越意識なのか。現生の体を使った実験をしているのでしょうね。)

マズローの五大欲求って本当?
これは資本主義の中で駆り立てるために、私達を奴隷化するために仕組まれた罠では?
と違和感を感じ、調べてみたら、このような文献が出てきた。

何も持たず、何者でもないことをなぜ恐れるのか?
なぜ未来を恐れるのか。現実には存在しない、今ここしかないのに。

なぜ私たちはエゴを捨てられないのだろう?
エゴは私たちの”存在”とつながっているのだろうか。
それは人間の本能なのか。
エゴは私たちを”何か”から守ってくれるのだろうか。

その”何か”が敵であるとしたら、それは私たちの思考パターンや信念に過ぎないのではないか?なぜ敵がいると思うのか?
なぜ世界を信じられないのか?

私たちが動物と違うのは、人を殺さなくても、潜在意識のレベルで同意をすれば(集合意識)、平和と愛の中で生きることができるはず、、なのでは?

だから知性がある、脳がある。
脳は、愛を仕組み化し、この世に実装するための保管機能であり、
動物にはないもの。あとから生まれた部分。

人間は果たして愛の元に生きることはできるのか?
という命題を、宇宙が (神が、生命の潜在意識が)試しているのではないか?
壮大なる実験🧪

人間は、無から有を生み出すというクリエイションに協力し合えるのだろうか?

無限にある天然資源がなければ、生命の危機に直面することになる。

だから資源を占有し、国民を奴隷として国のために働かせ、
その代わりにお金を作り流通させるシステムを導入し、サバイブする機能としての国がある。
他国とは境界線を敷き、パトリオット的愛の仮面の下で同じ部族の囲い込みをする。

もしかしたらそれは本気の愛かもしれない。ただ同じ部族、血の兄弟に限って。という条件付きの愛であり、他国は敵であるため、いざとなれば戦うための武器を作り、どんどん生産し消費する物質的豊かさを促進するために戦争を起こしては、戦争を長引かせては金をつくる。

愛の範囲を指定できるの?
そもそもそれは愛?
それは見せかけの愛では?
愛が手段になっているのでは?

わたしたちは条件付きの愛に洗脳されている。
では、無条件の愛とは?
Unconditional loveの実現は可能なのか?

もし私たちがすべての天然資源さえ失い、無一文(お金もない、所有物もない)で生きることになったらどうなるだろう?

ターゲットとなる顧客も、生み出される製品もなく、ただみんなで共有する資源があるだけ。
土地を平等に共有し、生産物をみんなに平等に分け与えれば、私たちは生き残り、愛情をもって協力し、幸せに暮らせるはず。

しかし、私たちはランダムな遺伝子であり様々なカルマや負のエネルギーが潜在意識に埋め込まれている。
だからみんな違う。異なる考え方をし、異なる行動で異なる生き方をする。
だからこそ私たちは学び合わなければならないのでは?そのために教育があるはずでは?

統制され、支配され、奴隷になるための制度の中で、半殺し (精神は死んでて体は生存してる) の状態で生きるための教育を強制されている。(子供は敏感だからそんな変な学校に行きたくなくなるのも当たり前だと思います。そんな教育ならば行かない選択を選ぶ方が健全なのではと思うほどです。)

学校に時間通りに到着して座ると、
せっかくみんなが集まったというのに、
教科書を読んで終わる。
教壇にいる先生という存在は一体何なんだろうか?
犠牲者であり奴隷の一人?

お金とは何だろう?
愛とは何だろう?

このような思考を経て思うのは、愛を外に求めてもないこと。
自分自身という深い生命の存在とつながる。
つまり、素晴らしい奇跡のひとつである自分を尊敬し、尊重し、命があることを讃え、感謝し、大切にする。
なぜならそれは宇宙の奇跡や謎とつながるということだから。
宇宙の真理を知ることに近づくことだから。
宇宙という創造物(神)からメッセージをもらって宇宙が望む真理を生きることに近づくことだから。
わたしは宇宙。
宇宙の一部。わたしの中に宇宙がある。
宇宙(生命)の仕組みは植物や人間の内臓と同じです。
宇宙がわたしたちの中にあるのです。

しかし、自分を大切にする過程で様々な葛藤がある。

なぜ自分のエゴが消えないのか?
なぜ完全なるピュアになれないのか?
その葛藤こそが、外部に対して優しさになる礎になるのではないか。

自分だってできてない。
みんな同じ。
みんな自分。
傷つけ合うより助け合った方が嬉しいし、アガるし、気持ちいいし、効率的だし、結局最後に、「ああ、幸せな暮らしができたー、幸せな地球に生まれてよかったー、と死んでいけるのでは?」

まずは自分とつながり、信頼を築く。
自分を知り、受け容れ、癒し、助け、励まし、ひとつになる。
そうして他とつながり、信頼する。
そうして外界の世界とつながり、信頼する。

自分を信じることなしでは、世界を信じられない。
世界を信じられたら、ものごとは勝手に動いていく。
宇宙のリズムが自分の人生を望む方向へ運んでくれる。

信じる、それはつまり、受容れ、存在そのものを愛すること。

気づいたら早い。
外の価値観に合わせず自分の価値観で動く。

そして大抵行き着くのは私だけが価値観を変えて生きいることはできない、という思考。
なぜなら全ての仕組みがそうだから。
先人が失敗してきたように、私も結局失望するのではないか。
だから大概諦めて、バランスの取れた処世術として、
半分は誤魔化してこの経済システムの中で奴隷として生きて心を売って明日のパンを稼ぎながら、半分は自分に正直に生きて精神を清める という生き方。

それでいい。少しずつでもいい。
そうしているうちに違和感で体がもう無理できなくなってやむを得なくなっていく。
そうしてより多くの人が気づいていったらいつか大きな力になる。
ちりも積もれば山となる!

波動や周波数は波紋する。
そして、集合意識(Collective Consciousness)がみんなをつなげる。

まずは自分から。

自分を愛するリトリートやります。
愛し愛されたい方、大歓迎です🤗💫🌕

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本当の自分を生きる。
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