傷つけあうふたり。
事実はバイオレンスだけど、それは真実ではない。
真実の心が映し出した言動や行動ではないはず。
誰も傷つけたいわけではないはず。
真実は別にある。
自分を守りたかったのかもしれない。
混乱してどうしようもなくて放っておいて欲しかったのかもしれない。
小さな自分を守らざるを得なかった、癒してあげてないから。
相手が自分をvalidate(承認)して、褒めて、愛してくれている期間が過ぎると、だんだん長所が短所に見えてくる。
見たくない自分が相手に反射され、投影されていく。
私のために時間を使ってくれないの?
私と同じことをして楽しくないの?
自分と違う相手に、失望していき、敵化していく。
おまえも敵だったか、といじけて距離を置き、自分を孤独にしていく。
こうなってくると、厄介な感情のもつれが起きており、一筋縄には解決できなくなる。
互いに自分の存在を認めてほしいが、怒りがある。悲しみが怒りになっているから攻撃的になる。
では自分は本当はどうしてほしいのか?
自分の小さな頃に旅して、再会し、その時の気持ちを聞いて癒し、抱きしめてあげる。
誰しも自分ひとりではできづらいから、ガイドの力を借りると良い。
そうして時間をかけて何度も何度もたっぷりじっくり癒してあげる。
すると、次第に自分にOKが言えるようになる。
怠惰だったり、おっちょこちょいだったり、失敗したり、イライラしたり。
でもそんな時、笑ってあげる。
「あらま、イライラしてんのね。動揺してんのね。大丈夫。あんたはがんばってる!」って。
「今日はゆっくりしよう!わたしがいるじゃない、いつだってわたしがあなたの最大の味方で最大の応援団よ!」と。
すると、パートナーの失敗やジリジリすることも許せてきて、「私を見る暇もないくらい自分に必死なんだな。何かに追いかけられてるのかな。なにか私にできることないかしら?」
と、まるで自分に声をかけているように優しくなれる。
そう、全ては自分に優しくすることから!
それを差し置いて相手に求めても、相手だって自分のことで必死。相手だって愛が欲しい。認められたい。だから誇る、自慢する、鎧を着る。ステータスやお金が必要で、褒められたい。もてたい。でも、そんなもので心が満ちないことはわかってくる。繰り返しているうちに飽きるし、何かが足りないこと満ち足りなさに違和感を感じてくる。酒やタバコや遊びで誤魔化す。
会社を起こして成功しても、働けなくなり、引退して、心にぽっかり穴が開きあらゆる病になるかもしれない。それは、本当に自分が欲していた声を聞いてこなかったからではないでしょうか。本当に欲していたのは、肩書きでもお金でもない。つまり、他から認められることではない。他が認める外的な要素には何の根拠もなければ、拠り所もない。それぞれの価値観でそれぞれのその時の視点で判断した、SNSのLIKEのように気ままで風のようで、忘れ去られていくかもしれないことに対する評価。
本当に欲していたのは、自分に認めてもらうこと。自分という奇跡の宇宙を愛し、助け、認め、輝かせること。自分が認めていれば良い。自殺は自分で自分の可能性を終わらせること。他の眼差しや定義づけ、決めつけばかりに翻弄された結果。そしてその「他」などは存在しない。自分が作り出した幻想。自分の負の声を他に投影し、他を自分の敵に仕立てた、壮大な茶番劇。
相手から愛を注がれていた時期が終わり、互いが自分に向き合う時期が来たら、「どう?あんたとあんたの仲は?いま向き合い中?シェアしたら重なるとこあるかもよ?」なんて会話ができたら、伴侶として、いい感じなんじゃない?

